大水害に家が流される 四万温泉 そば屋中島屋
電話番号 0279-64-2400
営業時間 午前11時〜午後7時
  (但し売り切れご免)

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昭和10年
大水害
家がながれる!

その当時小学生だったおじいちゃんは・・
着替え、勉強道具を持って逃げる用意を
3人の妹は手を合わせ拝んでいた

昭和10年(1935) 9月23日
九州に上陸し、北上を続け、死傷者653人、浸水家屋11万戸に及ぶ水害をもたらした、この台風により、四万温泉も未曾有の被害に遭いました。
これはその時撮影された新湯地区の写真です。
中央に一軒残っているのは、乗り合いバス駅、現在の関越交通四万温泉駅の所です、川の対岸にあるのは積善館本館、流失した萩橋のたもとに「河原の湯」が写っています、その上に門柱のある建物が、田村旅館別館、現 四万グランドホテルです。
この年、台風の前1週間近く、ぐずついた天気が続き、台風の接近とともに、雨足は強くなり、24日になっても衰えず、時刻は不明ですが、萩橋のすぐ上で土砂が崩れ、大きな桜の木が流され、橋に引っかかり川を堰き止めてしまい、重さに耐えかねて橋は流失してしました。その水の流れに、足をすくわれるように堤防が下から崩れ始め、「積善館」の客室、続いて「小倉屋」「高田屋」、駅の隣の「橋本屋」、最後にその上の「中島屋」と流されていきました。深夜近くの出来事だったそうです。

翌25日は台風一過の快晴となり、水の引き始めた川原に出て、流された家財道具や缶詰などを拾い集めたそうです。

 


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当時の写真と同じ位置から撮影したかったのですが、杉の木が伸びて、見通せず、撮れませんでした。
この写真の赤い色の屋根の部分とその上の緑色の部分が流されたところで、電話も通じなくなってしまった「積善館」と対岸では、連絡手段が無く、紙に用件を書き、石を包んで向こう岸へ投げ渡し、連絡を取り合ったそうです。
その後、建物は「田村旅館」により再建され、「小倉屋」「高田屋」「橋本屋」はそこで商売を再開しましたが、「中島屋」はもう一軒の店「桃源亭」(現在の中島屋)だけで続けることにしました。
この翌年は、陸軍青年将校による、2・26事件が勃発、そんな時代の四万温泉は年間およそ10万人程度の湯治客がおとずれる、まさに鄙びた温泉でした。
湯治場と言うより、避暑地的な感じかもしれません、春の彼岸明けから、秋までがシーズンで特に7・8月は、東京からの避暑のお客さんが、半月から一月あまり滞在するのが常でした。四万の晦日は8月だと云い、1年の借りは8月に払っていました、それほど稼げたということでしょう。
この水害のおかげで、毎年10月7・8日に行われている「湯前神社秋期大祭」は、中止となり、お囃子の練習をしていたおじいちゃんは、太鼓を叩けずに終わってしまい、その後祭りは社会情勢もあり、戦後まで行われませんでした。

 


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                    写真提供 高橋様

 

復旧した「萩橋」がその後、現在の橋になったのは東京オリンピックの頃でした。
道路も中之条〜四万間が全線舗装になり、時代は団体旅行へと移り、連日東京から
湯治団体客を乗せたバスが押し掛けるようになり、第1次四万温泉ブームとでも云うのでしょうか
夏の長湯治は、暮らしのテンポに合わせるように、その滞在期間も徐々に短くなっていき、
第一次オイルショックの、宿泊費の値上がりにつれ消えて、現在のような形へと変わっていきました
 
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